『 茶 禅 一 味 』   如々庵 芳賀洞然 老師 述

 

○このページは、如々庵 芳賀洞然 老師 述の『茶禅一味』を紹介してまいります。

 文章は1か ら10に区切られ、たいへん読みやすく理解しやすく述べられています。

 

◆老師略歴:19081月生、東京教育大学教授、大東文化大学教授などを歴任、

  人間禅師家、文学博士、裏千家淡交会講師、19968月帰寂

 

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茶 禅 一 味

 

  

 

 元来、茶の湯は茶の湯であり、禅は禅であり、両者は別のものである。しかもそれにもかかわらず、古来、茶禅一味ということがいわれ、現在でも心ある茶人の間では、それが強調されている。

 

茶禅一味の説とは、簡単にいえば、茶と禅とはその行ずるところの(すがた)(はたらき)はちがうが、その(たい)は別物ではない。両者は本体からみた場合、二にして二ならざるもの、すなわち一味であるという主張である。

 

そしてこの茶禅一味の説は、現代の茶道のあり方を反省し、正しい発展をはかる上に、きわめてゆたかな示唆(しさ)を与えるものである。

 

 

 およそ茶道には、社交の儀礼を兼ねた風流な遊びの面と洗練された高尚な芸術の面、および人間形成の道という宗教的な面との三つの面がある。

 

この三つの面が、あたかも(かなえ)三足のようによく均衡を保って一体をなしているもの、それがまことの茶道というものである。もし、この三側面の均衡がくずれ、ことに第三の宗教的な道としての面を欠如するならば、それは「茶の湯」であっても、ついに「茶道」とよぶにあたいしないであろう。

 

それが芸術や遊びであるとともに、何よりも人間形成の道であり、最もすぐれた人間形成の道である禅と深く通ずるものであること、換言すれば禅と一味であるということ、これが「茶の湯」を「茶道」にまで高める根本の条件である。

 

まさに禅と一味の茶の湯であることこそ、茶道の茶道たるゆえんの本質である。

 

 しかし翻って考えてみるに、単なる風流な遊びや高尚な趣味芸術としての茶の湯が、そのままですぐに禅と一味でありうるはずはない。としたら、茶の湯はどうあれば禅に通じ、禅と不二一味でありうるのであろうか。

 

禅と一味な茶とはどのような茶なのであろうか。総じて、茶と禅とはその相や用からみればちがうが、本体からみれば不二だというのが、茶禅一味の説の骨子であるが、いうところの「本体」すなわち両者を結びつけ不二ならしめる共通の基盤とは、具体的には何であろうか。

 

茶の湯がどうあったら茶禅一味となり、したがって真の茶道となるのであろうか。

 

 この素朴な、しかしそれだけに根本的な疑問とまともに対決し、これに答えること、それがこの小論の課題である。しかし、それに先きだって、茶禅一味という説がいつごろ、どのような歴史的過程をへて成立したのか、この概略を次にみておこう。

 

 

 

 

                二 

 

(そう)(ゆう)とは異なるが、本体は同じであるとしても、異なる思想や文化を融合する考え方は、中国で早くから行われていた。

 

三国時代から南北朝時代にかけて、仏教と老荘の教え(いわゆる道教)とは同じものだと説く仏老一致の思想が成立し、ついで唐代にはいって儒仏一致・儒道一致の思想のおこってきたのは、その早い例である。

 

奈良時代以来、日本固有の神祗はインドの仏の権現(ごんげん)であると説く本地垂迹(すいじゃく)説のおこってきたことは周知のとおりであるが、これは中国における前記の考え方の翻案というべきものである。

 

それはともあれ、中国においては(そう)代にはいって、ことに禅宗の側から政治的圧迫を回避し布教を円滑にしようという意図もあって、儒仏道三教一致の思想が唱えだされて流布するようになった。

 

 

そしてこの三教一致の思想は、禅宗の伝来とともにわが国にも伝わり、室町時代の五山派の禅僧社会において圧倒的な流行をみせた。

 

三教一致の思想を図解した「三教吸醋(きゅうさく)図」― 孔子・釈迦・老子の三聖が同じ瓶の()をなめつつ三人三様の「()っぱい」表情をしている図柄で、三聖の説く道は根本は同じもので(同じ瓶の())、ただその説き方(表情)が異なるに過ぎないことを絵解きした絵画 ― が室町時代に好んで描かれ、禅僧らがしきりにそれに画賛を加えていることで、三教一致の思想がいかに流行したかが察せられよう。

 

そして室町時代中期に出た一条(かね)()と吉田兼倶(かねとも)とは、この思想をさらに拡げて神儒仏道の四教一致を説き、神道思想の体系化を一歩進めたのであった。

 

 

他方、室町時代の五山派の禅僧は、その本分である参禅弁道を棚にあげて、宋代の朱熹(しゅき)によって大成された宋学、世にいう朱子学の研究と、漢詩文の述作や()()蘇東坡(そとうば)黄山谷(こうさんこく)らの詩集の講抄に、もっぱら力をそそいだのであったが、彼らは自らのこの本にもとる行為を正当化するために、儒仏の一致を主張し、また「詩に参ずるは禅に参ずるが如し」とか「詩は是れ我が家の般若経(はんにゃきょう)」などと、詩禅一味論を唱えたのであった。

 

しかも、この融通性に富む考え方は自らの芸道を権威づけ、自らの所行を正当化するのに好都合であるため、たとえば金春(こんぱる)流能楽中興の祖と仰がれる金春(ぜん)(ちく)が能禅一味論を展開し、連歌の世界において宗祇(そうぎ)の先輩格である十住院(しん)(けい)が連歌即仏道論を唱えるというように、他の文化領域にまで転用されるにいたった。

 

禅一味の思想は、まさにこのような考え方の伝統をうけついだもので、茶の湯が禅と密接な関係をもって興隆した室町後期において成立したものと推定される。

 

 

 村田珠光(じゅこう)による茶の湯の創始が、茶寄合・禅院の()(れい)・書院の茶、それに「(しも)々の茶」など、先行の喫茶の方式を、彼が一休宗純に参禅して体得した禅の精神(エスプリ)をもって統合したものであることを考えると、茶禅一味の思想珠光においてすでに芽生えていたと推定して、おそらく誤りないであろう。しかし、それを明確に示す史料は今のところまだ見当たらない。

 

管見に入る限りで茶禅一味の思想の萌芽が確実に認められるのは、妙心寺に住持し駿河臨済寺の開山第一世に推され、他面、珠光の後継の村田(そう)(しゅ)とも親交のあった大休宗休(だいきゅうそうきゅう)の語録『(けん)桃録(とうろく)』に、「松源(しょうげん)和尚茶話の詩に云く」として引かれている「茶兼禅味可、能避俗塵云々という五言絶句冒頭の「茶の禅を兼ねるは可なり」という一句である。

 

この松源和尚とは臨済宗松源派の派祖で、虚堂(きどう)()()の法の上の祖父にあたる松源崇岳(南の嘉泰2年(1202)に71歳で寂)かと思われるが断定しかねる。もし松源崇岳だとすれば、茶禅一味の思想の萌芽は、早く南宋の禅林にあったことになるわけであるが、これについては後考を期することにしたい。

 

 

 珠光の後嗣の宗珠が大休宗休と親しく、珠光の弟子で十四屋宗(じゅうしやそう)()が大徳寺派の古岳宗(こがくそう)(こう)に参禅していたことからみて、茶禅一味の思想はこのころからしだいに形成されつつあったと思われる。しかし、それが明確な形をとってあらわれるのは、古岳の法嗣(はっす)大林(だいりん)宗套(そうとう)が宗吾の弟子の武野紹鷗(じょうおう)の肖像画に加えた賛語においてである。

 

ちなみにその肖像画賛は「(かつ)弥陀無礙(みだむげ)の因を結び、宗門更に活機輪を転ず、茶味の禅味と同じきを了知し、松風を吸尽して意(じん)ならずというもので、「紹鷗居士は初め浄土念仏の法門に帰依していたが、後にわが禅門に参じて活溌な禅機を得た。そして茶と禅の同一味であることを深く知り、茶の湯を大いにたしなんだが、その心はまことに清浄で脱俗なものであった」というほどの意味である。

 

 

 

ついで千利休は『南方録』によれば、「小座敷の茶の湯は、第一、仏法を以て修行得道する事也」と説いたといい、『茶話指月集』の自序には、千(そう)(たん)は茶の湯を問う人があると、茶道は「本来禅によるがゆへに、(禅と同じ言語道断で)更に示すべき道もなしと答えたとある。

 

茶禅一味の思想はこのようにして紹鷗―利休―宗旦と経過する間に次第に明確なかたちをとるようになり、ついに『禅茶録』にいたって茶意は即ち禅意也。故に禅意を(おき)(ほか)に茶意なく、禅味を知らざれば茶味も知られず。という積極的かつ堂々とした茶禅一味の説に結晶し、爾後今日に至ったのである。

 

 

 茶禅一味の説は、このようにして茶の湯が発達し、「茶の湯は単なる遊びや芸術であってはならない、何より人間形成の道でなければならない、茶道でなければならない」という自覚が深まるにつれて成立し、ついに江戸時代の中期にいたって確立したものなのである。

 

 

 だがそれにしても、「茶意は即ち禅意也」といい、茶味即禅味という主張が成りたつ根拠はどこにあるのであろうか。端的にいって、茶と禅とはなぜ一味なのであろうか。

 

茶禅はなぜ一味なのかにつづく

 

 

 

 

 

 

 

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