★鹿児島禅会6周年記念講演会 講演要旨

「禅と弓道」8/3講演会
「禅と弓道」8/3講演会

 

弓道と禅”( 弓禅一味 )

鎮西道場  野代實心

 

 

 

 

 

はじめに

 

  私は、弓をかれこれ46年間しています。また、禅は、6年になります。今回、禅と弓道がどの様に関わりがあるのかを私なりにお話しさせて頂きたいと思います。

 

 

 

 

 私達は、と意識しているわけではないかもしれませんが、小さいころから、聞くとはなしに親や周りの人たちから、いろいろと禅的なことを聞いていると思いますので、を生活に生かしている場合も多いと思います。

 

 

 

何事をするにも禅と一体

 

   ・弓禅一味 ・剣禅一味  ・茶禅一味

 

 

 

禅をどの様に活用するか?

 

 

 

精神集中と三昧について!

 

数息三昧

 

・禅ではよく「数息三昧」になりなさいと言われます。

 

 三昧の意味は、精神を集中して余念がないこと、一心不乱に物事をすること。

 

“精神集中”は、方向性を示して動的なニュアンスを持っている。

 

“三昧”は、精神集中した状態そのものを意味している。

 

 両者には明確な違いがある。

 

 

 

三昧の三つの意味

 

正念の相続一貫読書三昧というように使われている意味で、最も一般的な使われ方。

 

心境一如・物我不二心境の「心」とは、自己・主体であり、「境」とは、自己以外のもの・客体を指すもので、主観と客観の畦が切れて主観と客観が一枚になることです。物我不二とは、万物と我(自己)が一体(別々ではなく、不二である)という意味。

 

正受にして不受正受とは、明鏡が物を映すように、そっくりそのまま受け入れるということです。不受とは、明鏡の前から物がなくなれば、鏡には物は跡形もなく消えてしまうということ。

 

 

 

数息観

 

 “数息観”とは、背筋を伸ばして坐禅を組み、静かに自分の息を一から百まで数えます。少し熟達すると一から十まで数えます。その息を数えるという念慮以外には何も考えないで、息を数えることに三昧になることを修するものです。

 

 数息観法の中期以降の高いレベルになると、息を数えている“我”と数える対象の“息”とが一体になり、不二になるといいます。

 

 “数息観”は禅僧から坐禅をしている一般人まですべての者が行っている、坐禅の基礎であり全てであるといっても過言ではないと思います。しかし、実際行ってみると、この不二一如は非常に難しいことがわかります。

 

 

 

三昧力を弓道にどの様に利用するか?

 

 

 

弓道八節

 

 弓道の射法には、八節があります。

 

1.足踏み(あしぶみ)  2.胴造り(どうづくり) 3.弓構え(ゆがまえ) 

 

4.打起し(うちおこし) 5.引き分け(ひきわけ) 6.会(かい) 

 

7.離れ(はなれ)    8.残心(ざんしん)(残身(ざんしん)

 

 

 

矢を的に中てるのではなく矢は中たるもの

 

・弓道では、弓を引き絞り満を持して矢を離し、的に矢が中るのが当面の目標。

 

・矢は的にむいている。

 

・的に心を奪われてはダメ。

 

・心と的が二元に分かれてはダメで、心身一如でなくてはならない。

 

 

 

余計なことを考えない

 

・巻藁では、近くに的がありますから中てようと思わなくてもよく、何も考えず無心で引け、力の抜けた良い射が出来ます。

 

・的前に立つと28m先の的に心が行きうまくいかない人がいます。中たるだろうかとか余計なことをいろいろと考えてしまいます。

 

・心を的に置くのではなく、偏ることなく全体に行きわたらせ、余計なことを考えず射に三昧になることが、重要です。

 

今でしょう!

 

 

 

力を抜く

 

弓を引くためには、力を入れなければ引けないことは事実です。しかし、この力を抜くという意味は、意識しないで引けるようにということです。

 

・たとえば、空のコップを持ち上げるときと、水の入っているコップを持ち上げるときは、無意識のうちに自然にそのものに合った必要最小限の力を加えていると思います。

 

・これと同様に、実際には力の大小はありますが、正受にして不受と言われるように、無意識のうちにさらりと流れなければなりません。

 

 

 

 

(かい)”の時に最大限に自分の力を抜ききれば、次の“離れ(はなれ)”もスムースに行きます。

 

・自分の力を最大限に抜いていれば、の時に弓の力で押手も勝手も中心方向に向かって押されていますので、離れの時には、意識しなくてもこの力と反対の方向に自然に体が伸びます。

 

・力ずくで引いて弓をいじめているときは、体が縮こまってうまくいきません。

 

“弓と仲よくなる”弓と自分が物我不二になる。

 

 

 

離れ

 

・弓道での離れは、無我の離れ無発の発という表現でされますが、離そうと思った時点で、無我の離れではなくなります。

 

・“葉末にたまった雨露が自然に地に落ちる”

 

・昔から赤子の手を握るように弓を握ると言われているように、弓を強く握りしめてはいけません。握りしめることにより心が弓の方に行き心身一如になりません。従って、心を何処にも置かなければ、全身に心がいきわたります。

 

 

 

正射必中

 

正射必中の意味は、正しい射をすれば、必ず中ると言うことです。

 

・正しい射をすれば必ず中りますが、逆もまた真ではなく、中る射が正しい射とは限りません。

 

・自我を捨て正射を目指し、日々邁進すれば、おのずと中ってきます。そうすれば、本当の弓道の醍醐味を味わうことができるのではないかと思います。

 

・正射とは、強く意識をしなくても、心が自然に内面に存在し、その内なる心と技とが完全に一致した射ではないかと思います。

 

・正射をするためには、だんだんと正射が出来るように自分のレベルを上げていかなければなりません。そのためには、良い指導者から正しい方向に導いて頂かなければなりません。

 

・本当に正射を理解するためには、その練習のレベルにあった教本を読むことも重要です。早すぎても教本に書いている深い意味が理解できません。

 

 

 

最後に

 

 私も禅をさせて戴いているお蔭で、今までと違って弓道ってこんなに奥深い物であったのかと再認識すると同時に、上の境涯になった時、今と違ってどの様な弓道が見えてくるのかも楽しみです。

 

 坐禅道場の門をたたき、公案をいただいて参禅することにより、技術だけの弓道よりは、もっと素晴らしい弓道鍛錬が出来る様になったと思います。

 

                            合掌

****弓道と人生 [阿波研造範士の教え]***

 

 鹿児島禅会では記念事業としてこれまで鹿児島茶道界の皆様のご理解とご協力を得て平成24年に「茶禅一味の会 鹿児島仙巌園大会」を島津家別邸 仙巌園にて大茶会と講演会を開催し、また、平成25年には「剣禅一如・禅と武道の会」と銘打って地元古武道の演武と人間禅付属宏道会の小野派一刀流と直心影流「法定の形」の演武と講演と参禅会を茶山房会場にて開催したしました。

 

 

今回「禅と弓道~弓禅一味・射裡見性の境地を語る・・!」と題して下記の通り鹿児島禅会6周年記念講演会を開催する運びとなりました。

 

 

 

 禅では、見性成仏といい弓道では射裡見性といい、禅は転迷開悟の見性を第一とする人間形成の禅であり、弓道もまた常住射裡という人間形成の弓といえましょう。

 

講師は学生時代から弓を始め、現在九州歯科大学病院教授の傍ら、平成20年に人間禅鎮西道場の門をたたき本格的禅の修行始められました。現在も弓道家・人間禅輔教師として弓禅一味を実践しながら同大学の弓道部の指導監督をされています。 

 

 

 今回、弓道と禅の体験を通して、特に若手の弓道家の方や禅や弓に志をおもちの方へ弓禅一味という観点からお話しいただけると思います。                          

 

 

入場料:1,000円 *会場の都合により先着50名様とさせていただきます

 

  なお学生の場合は、1団体1000円として申し込みください。 

  

◆問合わせ 申し込み先