◆ 禅の歴史(法脈)

 


◇禅の歴史(禅宗と伝法)


禅は「知る」世界でなく「得る」世界であるということです。知るには科学でも哲学でもできますが、得るという段階になると、体験に訴えねばなりません。禅はどうしても、座禅という実習によって如是法を体得し悟得しなければならない世界であります。 


今から約2500年前頃釈尊が128日、明けの明星を一見して大悟され、「奇なる哉、奇なる哉、一切の衆生、如来の智慧徳相を具有す」また「山川草木悉皆成仏」と讃嘆したと経典にあります。 


禅宗は、この釈迦の悟りと全く同じく悟りを体得し悟得するわけであります。つまり如是法を体得し悟得するわけであります。そしてこの如是法は釈迦以来、一器の水を次の一器に漏らさず移すようにして伝えられてきました。これを伝法という。 


此の伝法を無視しては、禅門の生命はなくなり、伝法を明確に受け嗣ぎ印可証明を受けた者が師家として修行者を相手します。ですから古人の伝記を見ても、必ず法を誰々に嗣ぐと明記してあります。嗣法の明らかでない師家は、禅ではもぐりと排斥され、師家として認めません。 


教主釈迦牟尼世尊の法を嗣いだ摩訶迦葉尊者を第一世として、今日まで滴々相承されてきています。インドから中国に法を伝えた達磨大師は第28世であり、臨済禅師は第38世であり、中国の虚堂和尚は第54世、その虚堂和尚の法を嗣いだ日本の南浦紹明和尚(大應国師)は第55世、白隠禅師は第73世、明治初年両忘会に拝請された鎌倉円覚寺の今北洪川禅師は第78世、両忘会を再興し在家禅設立した両忘庵(てっ)(おう)宗活老師は第80世、人間禅第一世総裁耕雲庵英山老師は第81世、因みに現在の人間禅第五世総裁の葆光庵春譚老師は第84世となります。 


○伝法 釈迦牟尼世尊が第1世の摩訶迦葉に法を伝えたところが経文にある。


【梵王 昔 霊山会(りょうざんえ)上に至って、金婆羅華を以って仏に献じ、身を捨てて牀座(しょうざ)となして、仏を請して群生(ぐんじょう)のために説法せしむ。世尊 座に上り、華を(ねん)じて衆に示す。人天百万 悉く()くこと無し。独り金色の頭陀のみあって破顔微笑す。 世尊曰く 吾に正法眼蔵涅槃妙心実相無相の法門あり。不立文字・教外別伝なり。今 摩訶迦葉に分付す。】 

 


○伝法系図(在家禅の直系法脈)

 

◇印度

(釈迦牟尼仏)―1.摩訶迦葉―2.阿難陀―3.商那和修―4.優婆毱多―5.堤多迦―6.弥遮迦7.婆須密― 8.仏陀難堤―9.伏駄密多―10.婆栗湿縛―11.富那夜奢―12.馬鳴―13.迦毘摩羅―14.那伽閼樹那15.迦那提婆―16.羅睺羅多―17僧伽難堤―18.迦耶舎多―19.鳩摩羅多20.闍夜多21.婆修盤頭―22.摩拏羅―23.鶴勒耶―24.獅子菩提―25.婆舎斯多―26.不如密多27.般若多羅―28.菩提達磨 


◇中国

(菩提達磨)―29.神光慧可―30.鑑智僧璨―31.大医道信―32.大満弘忍―33.大鑒慧能34.南嶽懐譲―35.馬祖道一36.百丈懐海―37.黄檗希運―38臨済義玄39.興化存奨40宝応慧顒―41.風穴延沼―42.首山省念―43.汾陽善昭―44.石霜楚円―45.楊岐方会46.白雲守端―47.五祖法演―48.圜悟克勤―49.虎丘紹隆―50.応庵曇華―51.密庵咸傑52.松源崇岳―53.運庵普巌―54.虚堂智愚―(南浦紹明≪日本≫) 


◇日本

55. 南浦紹明56.宗峰妙超―57.関山慧玄―58.授翁宗弼―59.無因宗因―60.日峯宗舜61.義天玄承―62.雪江宗深―63.東陽英朝―64.大雅耑匡―65.功甫玄勲―66.先照瑞初67.以安智察―68.東漸宗―69.庸山景庸―70.愚堂東寔―71.至道無難―72.道鏡慧端73.白隠慧鶴74.峨山慈棹―75.隠山惟琰―76.太元孜元―77.儀山善来―78.洪川宗温79.洪嶽宗演―80.輟翁宗活(在家禅両忘会)―81.立田英山(人間禅第一世総裁)


(南浦紹明=1259正元元年)に渡って、虚堂智愚の法を継いだ。1267文永4年)日本に帰国して建長寺に戻り、その後は1270文永7年)筑前国興徳寺、1272(文永9年)、博多崇福寺の住持をつとめた。)

(白隠慧鶴=16851768 8代将軍徳川吉宗の時代)

(輟翁宗活=両忘会総裁 在家禅の創始者 明治34年~昭和22/12 


◇伝法のしるし

伝法といい嗣法といっても、秘伝の巻物などを伝えるのでなく、仏心印を体得、即ち以心伝心するだけで、伝法しるしとして愛用の物など授受することが行われた。菩提達磨から六代の大鑒慧能までは、達磨愛用の袈裟と鉄鉢とが伝法のしるしとして相次いで授受され、達磨の禅が正しく伝えられた。その後は、ある時は墨跡による法語だったりもした。現在我が門では、総裁面授にて印可証明書が授与されている。 


◆初祖達磨大師から二祖慧可大師への伝法の話

 

 達磨 天竺に帰らんと欲し、四人の高弟に命じて云く、「時 将に至る 汝ら 各々所得を呈せよ」  


○道副云く「文字に執せず、文字を離せずして道用を為す」と。 (私は、教下別伝・不立文字の宗旨を把握いたしまして、それを、自受用・他受用の上に使っております)


達磨云く「汝は吾が皮を得たり」 


○総待云く「慶喜の阿閦仏(あしゅくぶつ)を見るが如し、一見して再見せず」と。(私はどのような美しいものを見ても、一見して再見せず、二念を継がず。という境涯を得ました)


達磨云く「汝は、吾が肉を得たり」 (*慶喜=阿難尊者が 阿閦仏が南方の阿閦仏国で説法する容子見えていたということについて釈迦の説法の故事)

○道育云く「四大もと空 ()(おん) 有に非ず、而して我が見処は、一法の得べき無し」と。(私は、肉体も精神も、さらにまた万物万象一切皆空であると悟りました。私は一切皆空を我が悟りとして毎日を過ごします)


達磨云く「汝は、吾が骨を得たり」 


○最後に慧可、礼拝して位によって立つ。(無言で恭しく礼拝して、弟子としての立つ位置として師家の斜め左後ろに立った)


達磨云く「汝は、吾が髄を得たり」 


このようにして、達磨は慧可に伝法した。 


◆禅門では、菩提達磨を初祖として仰いでいる。


◇後の二祖神光慧可大師が安心を得ようと達磨を訪ねた。


達磨 面壁す。神光(二祖慧可) 雪に立ち、臂を断って云く 「我が心 未だ(やす)からず、乞う師、ために安んぜよ」 摩云く「心をもち来たれ、汝がために安んぜん」 慧可 良久して云く「心を求むるについに不可得なり」

 摩云く「我 汝がために心を(やす)んじ()れり」

 

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